両親の死――1年以上をベットで過ごす

両親を相次いで亡くして1年が過ぎたころから寝込んだ。重いウツのときもあれば、ただ茫然とタブレットであれこれ視聴する日もあったが、何しろ起きて1日をやり過ごすことが困難だった。
さめざめと涙するときも多かった。母と父がもういないという現実が、悲しくてならなかった。こんなにも2人が大きな存在だったとは――思いもかけないことだった。

空の巣症候群

主治医は、介護していた親を失っても、空の巣症候群(Empty nest syndrome)になることがあると教えてくれた。通例では、我が子が巣立った淋しさで空っぽな精神状態になる症状だ。そして私は思った。(そうか私は、それほどまでに両親を愛していたのか。それは取りも直さず、両親が深い愛情をそそいで私を育ててくれた証拠なのだろう)。世の中には憎しみ合う親子もいれば、「亡くなって清々した」というケースもある。そう考えると、私は幸せ者だったのだ。だから、思いやりの深い夫に恵まれ、優しい息子も3人授かった。
きっと淋しさは、生きている限り、時として湧いてくるだろう。だけど、年を重ねるごとに楽しかった思い出のほうが、いや増して思い起こされてくるに違いない。

弥生3月 起き上がれた

寒さがやわらいできて、梅のつぼみが膨らむころ、ようやく起きられる日が増えてきた。横になっていて、趣味の編み物系YuTube動画が視聴できるようになってきたのも大きい。そして少しずつ編み物を始めた。はじめは小物から、それも手軽なかぎ針編みから。芸は身を助けるというが、私は趣味の楽しさに助けられて、起きていられる時間が日増しに伸びていった。
こうして日中起きていられる生活が戻ってきた。それにしても、長い間重力に逆らわずに横になって過ごしたので、体力の衰えは尋常ではなく、最初はソファに座っていても身体が傾いて支えられないほどだった。起き出して4ヵ月目の今も長くは歩けない。が、人間らしい生活が確実に戻ってきている。

(2023. 7. 3)

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