60年――父と母が人生をともにした歳月だ。最期の2年弱、会うことも許されずに、両親は逝った。
コロナがまだ下火だったとき、90歳の父は自宅で倒れて、緩和ケア型の老人病院に入院した。ぎりぎりまで身の回りのことを自力でこなした。その日から毎日のお見舞いが母の大事な日課となった。同居している夫か私が、毎日連れていった。
ところが私たちの住む街に都会から来た若者とかれらの集いがキッカケでクラスターが発生。面会が禁止となった。2020年夏のことだ。そこから禁止はいっこうに解けず、母の足が日増しに弱っていった。父からの伝言はいつも母の身体を心配する内容ばかり。翌2021年1月、母はリハビリのために老健に入所した。歩行訓練のために。それなのに、あっという間に車イス生活になってしまい、自宅での生活はままならなくなった。そして・・・自分で飲食する気力まで失い、脱水症で帰らぬ人となった。昨年(2021年)春のことだ。父に電話で伝えたとき、「あ~~~、そうか」と言った。電話が切れるとき「女房が死んだ」と看護師さんに伝える静かな声が聞こえた。
父不在の家族葬を執り行った。母が逝った、そのときでさえ父に会う機会は許されなかった。
そこから父は気丈にも、5ヵ月間命をつなぎ、同年秋、母のもとへと旅立った。
悲劇と書くのは悔しい。そう、あまりに切ない。これもまた、一組の夫婦に与えられた別れのカタチなのだと思うことに決めた。なんでもポンポン言い合う日常が許されなかった分、きっと父と母はお互いを愛おしんで最期のときをすごしたにちがいない。
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